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龍泉会は京都臨済宗妙心寺を大本山とする禅寺の親睦会です 

臨江山 長光院ちょうこうじ

長光寺について

活動報告写真

応永年間(1394~1403)、別峯円光国師によって草創された。
 師は東福寺の僧で、永徳三年(1383)神宮禰宜檜垣氏の請で伊勢の蓮台寺に寓し、後に下久具清水寺に住したというから、そのときの観請であろう。
 『文禄検地帳』に「惣庵」「林江庵」が見えるが、この惣庵がこれに当たると思われる。
 万治年中(1658~1660)、絶江紹隄(~1663)が別峯に伝法して長光寺にあったが、後に宿浦の住民の請により、宿浦海禅寺の開山となった。
 三度も火難を受けたという。初回の年月は不詳であるが、本来の本尊が焼失したので、その後、怡石道歓が安置し、延宝八年(1680)四月八日に入仏したというから、それ以前のことはいうまでもない。二回目は天明年間(1781~88)で、光宗祖本(~1798)が寛政年間(1789~1800)に再建した。しかし、三度灰燼に帰して、狻山(~1809)が三建に努力し、天保十四年(1843)、令宗巌代に竣工を見た。しかし狻山については、寛政二年(1790)に境内に地蔵尊を建てている(同像の銘)を見ると光宗祖本の再建という寛政年間とかさなるが、これでは、狻山は再建に尽力したが、まもなく焼失したことになろう。

 後、石陵和尚があり、晩年、泉の寶光寺へ隠住し、やがて寶光寺伝法開山となった。
 南天棒筆「堪忍」の扁額がある。
 境内にソテツの名木が多く、寺墓地別峯塔も聞こえている。


長光寺の踏石

活動報告写真

 昔むかし長江寺にとても力持ちの和尚さんがいました。
この和尚さん、ふたりがかりでないと持ち上げられないほどの大きな石でも、ひとりでらくらく持ち上げられるほどの力持ちでした。

ところがこの和尚さん、寺に遊びに来るわんぱく坊主の子どもたちに手を焼いていました。
とうとうある日、我慢できなくなった和尚さんが、言う事を聞かない子供たちを追いかけ回しているうちに、寺の縁の踏石を大きな足で力強く踏みつけてしまったところ、その足跡が敷石の上についてしまいました。

その踏石は、今でも寺の縁の踏石として残っています。


五輪さん

活動報告写真

長江寺のある南伊勢町下津浦には、“五輪さん”があります。
その名のとおり、五輪塔です。
字エボシにあり、この辺一帯が山火事にあった時、モッコクの木が焼け残り、円形の墓地が見つかったそうです。
以後、五輪坊として祀るようになりました。

ここには朱が埋められているとか、平家の武者が割腹したところとか
いわれていますが、本当のことはわかりません
ここへ参ると、喘息が治るとか、イボが取れるとか言われています。

五輪坊のある場所から海をはさんで正面には、なぜか長江寺があります。



臨江山長光寺

〒516-0105
三重県度会郡南伊勢町下津浦1034

TEL 0599-66-1256