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龍泉会は京都臨済宗妙心寺を大本山とする禅寺の親睦会です 

大雲山 甘露寺かんろじ

沿革

活動報告写真

文和三年(1354年)明徹光琮禅師により開創された。禅師は諸国巡錫の途、足をこの地に止め古和在住の人々の厚き帰依を受けられ一草庵を開創した。爾来この地にとどまり住職として十年余りつとめ、貞治五年(1366年)三月十六日鎌倉に帰り示寂された。
 以後しばらくの間の記録は定かでないが、徳川家綱の時代に妙心寺派の嶺堂宗庾が来て再興した。
 寛文五年(1665年)五月二十三日妙心寺との本末関係を結ぶ、以後現在に至っている。その間第三世鏡堂慈円の時代(延宝七年(1679年)三月)に観音堂が再建され、第四世了堂禅覚の時代(元禄九年(1696年)六月)に本堂が再建され、第七世大 智恬の時代(文化二年(1805年)八月)に庫裡が再建され今日に至っている。


県指定文化財

活動報告写真

有形文化財古文書
『紙本墨書古和文書17通』 昭和28(1953年)年5月7日
 年代:南北朝時代
 南北朝内乱の時古和浦の住民も北畠氏の指揮の下で 各地に転戦し、北畠氏から恩賞を与えられた。それらの文書が今も古和浦に伝えられ正平24年(1369年)、建徳2年(1371年)、文中2年(1373年)、元中9年(1392年)、明応5年(1496年)などの年号のものがある。

書跡・典籍
 『紙本墨書大般若経597巻』 昭和29年 4月 1日(1956年)
 一紙幅55.4cmの黄楮紙に30行の罫線を引き、楷書体で1行17文字に書写している。筆者は数名あるようである。巻第150の奥書に「元暦元(1184)年甲辰九月十日写畢 筆祐慶」とある。また巻362の奥書には「貞治6(1367)年丁未二月廿三日安置志摩国古和浦者也」とあり、183年後に古和浦の所有になったことがわかる。巻子装。表紙は最近の補修であるが、軸は継軸で両端に黒漆を施してあり、書写時のものと考えられる。筆者は数人あるが、いづれも写経に慣熟した筆致で、県内を代表する鎌倉初期の優れた写経である。なお、600巻のうち、巻第599号を欠失している。


有形文化財歴史資料
 『宝永津波供養碑(甘露寺の三界萬霊碑)』平成27年3月5日
宝永4年(1707年)1月4日の大津波により水死した85名の供養を願って建立されたものである。昭和45年3月1日町指定文化財となる。


町指定文化財

活動報告写真

『天保飢饉餓死疫亡者供養塔』昭和45年(1970年)3月1日
 嘉永6年建立
 天保の飢饉により古和浦では400人に達する餓死者と流行病による死者が出た。それらの人々の供養のため建立されたものである。



甘露寺

〒516-1534
三重県度会郡南伊勢町古和浦253

TEL 0596-78-0132
FAX 0596-78-0132