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龍泉会は京都臨済宗妙心寺を大本山とする禅寺の親睦会です 

養龍山 常慶院じょうけいいん

沿革

常慶院

 『寺籍書上』(大正七年)では、寛文年中(1661年から1672年)機関恵全首座の開創とされていますが、村誌の別本では、寛永元年(1624年)を開基としており、木谷甲堂家の『経歴録』でも同じく寛永元年(1624年)正月開山とされています。
当初の山号はお寺が海岸に面しており、そのことからか「海上山」であったようです。
 列宗全網は妙心寺春光院四世に出世した後、元和年中(1615年〜1623年)に伊勢に入り龍泉寺を中興しています。妙心寺に残る資料によれば列宗は龍泉寺に伝法した後1622年常慶院に住まわれています。そのことから寛永元年(1624年)開山、船着き場であったと思われる常慶院を、列宗が伽藍を調えた上で初代住職を新しく指名したと思われます。
 


慶光院の役寺であった

慶光院

 1600年当時、慶光院が伊勢神宮内に強い勢力を浸潤していたという事実から、京都本山妙心寺山内春光院からその弟子等が伊勢神宮内宮にある慶光院の役寺(出先の作業所)であった南伊勢町木谷の常慶院へ普段から多く行き来していたという関係で、近くでより伊勢内宮寄りである南伊勢町五ケ所浦の正泉寺、後に同町船越の龍泉寺を中興開山し住したものと考えられています。
 当時京都から伊勢までの旅は、非常に危険で難儀な陸路からではなく、大阪堺港などから千石船等で熊野灘を経由して伊勢に至るのが最善であるとされていました。伊勢神宮内宮に至る裏街道(隠れて直に内宮に入る道)の入口でもある常慶院の正面は、リアス式湾内の内海で波穏やかであり、しかも、五ケ所浦では観られないほど寺院正面の岸部は、自然のままながらもかなり深くなっており、とても大きな船である千石船でさえも当時接岸が可能であっただろうと思われます。



養龍山 常慶院

〒516-0106
三重県度会郡南伊勢町木谷78

TEL 0599-66-0753